雑記帳

趣味のこと

このブログについて

こんにちは。

今回は手始めにこのブログの趣旨みたいなものを簡単に書き留めておこうと思います。

おおむねがさもない投稿になると思いますがたまに趣味の散歩の事についてまじめに書こうかなと。

 

先日、蒲田のあたりを訪れたので、手始めにこれを書いてみます。

 

みなさんは蒲田といえば何を思い浮かべるのでしょうか。最近だと、連続テレビ小説の『梅ちゃん先生』は蒲田が舞台でしたね。今では戯曲のイメージが強いかもしれませんが、『蒲田行進曲』を思い浮かべる人も多いでしょうし*1、活動家の方などは、佐藤首相訪米阻止闘争を真っ先に思い浮かべるかもしれませんね。ちなみに自分は大田区産業プラザでしょうか。

 

ここで、土地を考察する際の定跡ですが、その地名について調べてみます。地名というのは、地形に通ずるものであったり、願望含みの場合もあります。土地に限った話ではなく、名前が対象を知るうえで重要であることは理解していただきやすいと思います。もちろん、スランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ駅みたいにあまり意味のない、むりやり付けた名前とかもありますが*2

 

しかしここで一つ気を付けたいのが、地名の由来というのは、調べていると分かるのですが、信頼性の高い文献に乏しく、定かでない場合が多いということです。地名への考察という点で柳田国男の『地名の研究』はなかなか面白いので気になった方は読まれてみてはいかがでしょうか。彼は民俗学研究の延長でこういう本も出してるんですね。個人的には講談社より中公を推しています。

 

地名の研究 (中公クラシックス)

地名の研究 (中公クラシックス)

 

 

さて、「蒲田」というのはずいぶん古くからある地名だそうで、例えば『江戸名所図会』*3においても言及されているように、平安時代の辞書『和名類聚抄』にもその名が見られます*4

橘樹郡

 高田[多加太] 橘樹[多知波奈] 御宅[美也介] 縣守[安加多毛利] 驛家

荏原郡

 蒲田[加萬太]――*5

 一応記述部の画像も貼っておきます*6

f:id:shogack:20180721191401j:plain

 

さて、本題の「蒲田」の地名の由来ですが、これまた定かではありません。「地名から土地を考察する」みたいなことを言っておいて…なのですが、なにせ古くからある地名ですから。

 

感覚的に分かっていただけるかと思いますが、やはり新しい名前の方が由来が残りやすいわけです。伝達手段の制約だとか伝達する意義に乏しいとかのファクターがあるのでしょうが。例えば、都庁のある新宿などは内藤新宿からですし、八重洲は幕府お抱えのオランダ人通訳であったヤン・ヨーステンの名に由来します*7。どちらも江戸以降につけられた名前で、記録も残っているので由来もはっきりしているのです。

 

少しかたい話をしすぎました。ここらへんで仕舞にして、実際に蒲田近辺を歩いた時のことも書き留めておきます。

 

昼間は你好別館で餃子を食べたのち、大森駅近くのルアンで一服。他には品川寺を訪れたりもしました。しかし不勉強なもので、私はこれを「しながわでら」なのかなあなどと勘違いしていまして。正しくは「ほんせんじ」と読むそうですね。吉祥寺とか浅草寺とかと同じノリなんでしょうか。あ、そういえばこんな話をアニメ『じょしらく』第三話あたりのBパートでやってましたねえ、懐かしい。水島監督はいい仕事しますね。懐かしすぎる。

 

じょしらく 2(期間限定版) [Blu-ray]

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撮影所の話題なんかも出しつつもう少し書きたかったのですが、なんかもうアニメの話しかできそうにないんで今回はこれで終わりです。

 

参考にどうぞ

1.藤井武夫(2002)『東急沿線文学散歩』三水社.

2.川本三郎(2012)『郊外の文学誌』(岩波現代文庫)岩波書店.

3.散歩の達人編集部(2016)『東京渋カフェ地図』(散歩の達人POCKET)交通新聞社.

4.久米田康治・ヤス(2010)『じょしらく1』講談社.

*1:戯曲の方の舞台は京都ですが

*2:観光客を呼び込むという目的は達成できているようなので、メタ的な視点からすればむしろ込められた願いが叶ってるのかもしれませんね

*3:るるぶ江戸みたいな感じです

*4:『和名類聚抄』には十巻本と二十巻本がありますが、このような地名の記述があるのは後者

*5:[]の中は万葉仮名です

*6:参考にどうぞ、コマ番号は53/64です 国立国会図書館デジタルコレクション - 和名類聚抄 20巻. [3] 

*7:八重洲に関しては面白いこもれ話があありまして、八重洲は本来、東京駅より西、外堀の内側を指していたのですが、現在はその逆になっているのです